2016年7月15日金曜日

関羽像

中国的なスケールの関羽像。
なんというデカさ!超巨大な関羽の像が中国、荊州市に現れる

荊州の関羽像が船に乗っている、というのはポイントが高い。
関羽は荊州牧として樊城を水攻めして、落城一歩手前まで追い込んだのである。
樊城が落ちれば、当時の都の許昌は(中国的なスケールでは)すぐそこだ。

樊城が落ちたとなると、防衛にあたる曹仁も敗れたことになる。
漢中で夏侯淵を失い、また曹操自身の漢中攻めも捗らず、さらに樊城まで落ちたとなれば、大事件であった。
そうなれば、諸葛亮の初期の構想通り、劉備は自身で長安ルートから曹操を攻めたはずだ。

曹操が遷都まで考えたのだから、許昌の防衛機能は高くなかったと思われる。前線じゃないし。
援軍の于禁が水没してしまったのは、手痛い誤算だっただろう。
関羽が都攻めまで行けば恐らく成功し、「逆賊曹操の都を攻め落とした英雄」になれたはずであった。

しかし、結局、司馬懿と蒋済が頭で解決した。鮮やかな反撃だった。
劉備が半生を費やした曹操討滅という目標と、諸葛亮の初期構想は破たんしたのである。

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