2016年8月22日月曜日

投資家と投機家と相場師、あるいはギャンブラー

投資家と投機家と相場師、あるいはギャンブラー、これらの定義は曖昧である。
相場での売買は、人によって投資とも投機とも、またギャンブルとも定義される。

そんな定義はどうでもいい。
我々の関心は、自分の行為を定義することでなく、相場から得るものだ。
果たして、私はどれだけのパフォーマンスを得たのか。

テクニカルが優れているのか、ファンダメンタルズが優れているのか、その議論もどうでもいい。
短距離走選手と長距離走選手と、どちらが優れているか尋ねるようなものだ。
どちらも素晴らしい。

相場は、金銭に関する無限の可能性を提供している。我々も本来は可能性の存在である。
良くなる可能性も、悪くなる可能性もそこにある。ただ存在している。
それは善悪ではなく、我々が我々に似せて作ったものに過ぎない。

相場は誰のポジションも気にしない。誰がどうなろうと気にかけることはない。
しかし、逆に言えば、それはあらゆる人のあらゆる売買を受け入れているということでもある。
あらゆる人のあらゆる判断を受け入れているだなんて、相場はそんなにも度が過ぎている。

1株が2,000万円相当の株なんて、小説で書いたらどう思われるだろうか。
荒唐無稽と言われるに違いない。しかしそれは現実にある。
この一事だけでも、相場の素晴らしさを表すのに十分だ。

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